2026年8月7日(金)

 誰かこの女性を知りませんか? 金正恩ファミリーと並んで宴席に座っている「謎の女性」は誰?

金与正氏の隣が「謎の女性」(赤い円)(朝鮮中央通信)

 昨年11月25日付の「韓国の情報機関はなぜ、『金与正の夫』を割り出せないのか」と題した記事で、筆者は、北朝鮮の内部情報に食い込んでいるはずの韓国の情報機関が、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の妹・金与正(キム・ヨジョン)党総務部長の夫について、「いま、どこで何をしているのか、何ひとつ明らかにされていないのは不思議だ」と疑問を呈した。

 韓国の情報機関「国情院」は、電話盗聴や脱北者情報、「内部情報筋」とされるヒューミント(人的情報)などでは、日米の情報収集能力を上回るとも巷間いわれている。しかし、金与正氏が2014年3月に表舞台に登場してから10年以上が経過したにもかかわらず、その夫については職責や地位、肩書を含め何ひとつ割り出せていない。写真一枚ない。

 それだけではない。筆者は、その前年の2024年8月13日にも、2023年11月23日の軍事偵察衛星発射成功祝賀宴で金与正氏の隣に座っていた女性が何者なのか、問題提起したことがあった。

 問題の女性の横顔が写った宴会場の写真を掲載しただけでなく、2023年9月に金与正氏、付き人の玄松月(ヒョン・ソンウォル)副部長らとともに金総書記の訪露に随行していたことを突き止めた。さらに、帰国直後の9月20日に撮影された訪露団の記念写真では、この女性が金与正氏と並び、金総書記の真後ろに立っていたことも明らかにした。

 祝賀宴では、この女性はメインテーブルに着席していた。テーブル中央には金総書記が座り、向かって左には「ジュエ」と称される娘、李雪主(リ・ソルジュ)夫人、さらに一席空けて金与正氏らファミリーが並んでいた。金総書記を除き、全員が国家航空宇宙技術総局のロゴマークが描かれたTシャツを着ていた。

金総書記の隣に娘(朝鮮中央通信)

 仮にこの女性がファミリーの一員だとすれば、年齢的には李雪主夫人の妹、あるいは金与正氏の義妹(夫の妹)の可能性が考えられる。さらに想像力を働かせれば、金総書記の実兄・金正哲(キム・ジョンチョル)氏の夫人である可能性も排除できない。「朝鮮日報」の脱北記者として知られている姜哲煥(カン・チョルファン)氏は自身のユーチュブ番組で公然と「側室」であると主張しているが、李夫人も出席している晴れやかな舞台に「側室」の同席はあり得ないと思う。

 金正哲氏の消息は、英国のロックギタリスト、エリック・クラプトンのコンサートを観るため英国を訪問した2015年5月を最後に途絶え、以後の国内での動静は不明である。

 ところが、「金正哲」についても2024年に「異変」があった。1月に発刊された北朝鮮の雑誌『歴史科学雑誌』(2月号)に「我が共和国を核保有国に引き上げた偉大な指導者金正日同志の不滅の功績」と題する「金正哲」名義の寄稿文が掲載され、これが金総書記の実兄・金正哲氏ではないかとの噂が流れた。

 というのも、寄稿者は全部で23人いたが、「金正哲」を除く22人については、社会科学院室長や金日成大学教授(博士)など所属や肩書が明記されていたのに対し、「金正哲」だけは所属も肩書も記されず、名前だけが掲載されていたからである。

 折しも2025年1月には、金与正氏の二人の子供も初めて公開された。朝鮮中央テレビが1日に放送した新年祝賀公演の映像に金与正氏の男児と女児が映し出されていた。

 「祝賀宴の女性」とは別人ではあるが、2022年2月26日に開催された労働党初級書記大会でも「謎の女性」が話題になったことがあった。雛壇で金総書記に演説文を差し出した女性が全国民に着用が義務付けられている金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)バッジを胸に付けていなかったことからこの女性に熱い視線が注がれた。

 北朝鮮でノーバッジが許されるのは金親子だけである。そのため、もしかすると金正日前総書記の最初の妻・金英淑(キム・ヨンスク)氏との間に生まれた娘、金雪松(キム・ソルソン)、すなわち金総書記の異母姉ではないかと、筆者も疑った。

 その後、モランボン楽団に2016年からドラマーとして所属していた元楽団員であることが判明した。名前は「ホン・ユンミ」、当時24歳。2018年に板門店での南北首脳会談の余興として行われたモランボン楽団の公演に参加していたほか、モランボン楽団の元団長である玄副部長が楽団から引き抜き、付き人として儀典業務に携わらせていたことを「国情院」が突き止めた。

 この付き人は初登場から2年後に正体が判明したが、もう一人の女性はすでに2年近くが経過した現在もなお謎のままである。

 朝鮮戦争で生き別れとなり離散した家族の再会を扱った韓国「KBSテレビ」の特別番組「離散家族を探しています」は、1983年6月から11月間で半年間にわたって連日放送され、最高視聴率85%という驚異的な数字を記録した。そのとき、大流行した歌がある。

「誰かこの人を知りませんか?」