2026年2月10日(火)

 韓国で「処刑された」と報道されていた北朝鮮の元国家保衛相が姿を現した!

金正恩総書記を取り囲み記念写真に収まっている退役軍幹部(前列右端が金洪弘元国家保衛相)(朝鮮中央通信から)

 金正恩(キム・ジョンウン)総書記が朝鮮人民軍創建78周年に際して2月8日、国防省を祝賀訪問していたが、配信された写真を見て、仰天した。なんと、8年前に韓国で「処刑された」と報道されたはずの人物が写っていたからだ。

 その人物とは、「北朝鮮のゲシュタポ」と称されている国家安全保衛部(現国家保衛省)の金元弘(キム・ウォンホン)元保衛相である。

 国家保衛省は金正恩体制を支える支柱の一つである。そのトップの人物が公の場から姿を消したのは今から9年前の丁度、2017年2月だった。突如、統一教会系の韓国紙「セゲイルボ」が「金元弘保衛相が労働党組織指導部の検閲を受け、電撃解任された」と伝えたのである。

 この件で他のメディから質問を受けた韓国統一部は「金保衛相は1月中旬に党組織指導部の調査を受け、解任され、軍の階級も大将から少将に3階級降格された」と、金保衛相の解任を公式確認すると共に「保衛省の次官級(副部長級)幹部が多数処刑された」と発表していた。処刑された次官級の中に拉致担当の徐大河(ソ・デハ)次官(副部長)が含まれていたことから日本でもちょっとした騒ぎとなった。

 そして、統一部の情報を追認するかのように情報機関の国家情報院も2月27日に「金元弘は監禁状態に置かれており、次官級の5人は高射銃で銃殺された」と、国会情報委員会に報告していた。情報委員会の与党幹事によると、解任は金総書記への虚偽報告が原因とされていた。国家情報院は同年11月20日にも「金洪弘は党に対する不純な態度を問題視され、粛清された」との情報を流していた。

 金保衛相の粛清報道は日本にも波及し、東京新聞は2017年11月25日付に北朝鮮関係者の言葉を引用し、「金総書記がかわいがっていたカン・ギソプ民用航空総局長を拷問死させたため解任された」と報じていた。

 金保衛相の解任理由については保衛省の数々の人権蹂躙と越権行為、さらには不正腐敗などが挙げられていたが、粛清する立場の人物、それもボスが粛清されたとなるとただ事ではなかった。まさに青天の霹靂だった。

 さらに翌年の2018年になると、4月に開催された最高人民会議で国務委員のリストに名前が載ってなかったこともあって保守系の朝鮮日報などは脱北者の話しを基に「金元弘は息子の金チョルと共に処刑された」と報じていた。朝鮮日報のライバル紙、東亜日報もその後、脱北記者のチュ・ソンハ氏が「金元洪は2019年5月から6月にかけて処刑された」と大々的に伝えていた。

 金元保衛相は2003年に保衛司令官として先代の金正日(キム・ジョンイル)体制を支え、2010年に一時的に軍総政治局副局長に転出したが、金正恩体制下の2012年に国家安全保衛部部長に任命された。

 さらに金正恩氏が後継者に内定した2009年から軍総政治局副局長として金総書記の軍掌握をバックアップした功績により、2012年には政治局員、国防委員にも選出され、実際に金正恩氏が党軍事委員会副委員長としてお披露目された2010年9月の第3回党代表者会では隣に座るほど、金総書記の腹心の一人だった。それだけに解任報道は衝撃的だった。

 統一部は2017年2月3日に電撃解任を公式に認めたものの実際には金保衛相は3日後の2月6日夜に放送された金総書記の軍関連視察を伝える記録映画「白頭山訓練熱風で無敵強軍をつくる」に登場していた。金総書記が主催した軍幹部の会議でメモを取っている場面が映しだされていたのである。

 通常、北朝鮮では「反革命」など重罪で粛清された幹部や高官らがその後、テレビにその姿が映り出されることはまずない。編集、カットされるのが常だ。新聞にも二度とその名が載ることはない。存在そのものが抹消される。「反党宗派行為」「反国家転覆」の罪で2013年12月に処刑された張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長兼国防副委員長がその典型的な例だ。

 今回9年ぶりに健在が確認されたわけだが、韓国のメディアや情報機関によってこれまで「処刑された」と伝えられた北朝鮮の要人は2013年の玄松月(ヒョン・ソンウォル)「銀河水管弦楽団」声楽歌手(現党副部長)、2016年の李永吉(リ・ヨンギル)軍総参謀長、2017年の黄炳誓(ファン・ビョンソ)軍総政治局長(現国防省顧問)、2021年の朴泰成(パク・テソン)党宣伝書記(現総理)、2023年の李容浩(イ・ヨンホ)元外相らを含め十数人に上る。