2011年10月7日(金)

脱北者の15年後の「変身」

 15年前に脱北し、韓国に定住していた北朝鮮の脱北者が同じ脱北者で、北朝鮮に向け体制批判のビラを撒いていることで知られる「自由北韓運動連合」の朴相学(パク・サンハク)代表の暗殺を企てていたとのニュースが目を引いた。

 暗殺用道具として所持していた蓋の部分を押すと致死量の毒薬が注入されるボールペンの形の毒針や、懐中電灯型の銃などが公開されたが、銃はボタンを押すと、毒薬入りの刃が最大10メートル先まで発射される仕組みで、まるで「007」の映画を見ているようでもある。

 脱北者は韓国情報当局による合同尋問調査は徹底している。韓国側からすれば、昨今偽装亡命が多発していることもあって、調査は生易しくはない。刑事が容疑者を尋問するかのように徹底的に行われる。年間2〜3千人に及ぶ脱北者の中から工作員や犯罪者を識別、見極めるのは容易なことではない。

 驚いたことに、今回、この男が脱北してきた当初は、身分が人民軍武力傘下後方総局の将校ということで韓国当局は「生きた反共の教材」として6年間にわたって大学や軍部隊の講演に講師として大いに活用していたというのだ。俄かに信じられない話だ。

 また、韓国に脱北した年が1996年であることも判明したが、1996年というと、黄長Y(ファン・ジャンヨプ)元労働党書記が今回暗殺のターゲットにされた秘書の金徳洪(キム・ドクホン}氏を連れて韓国に亡命した前の年である。

 本当に偽装脱北ならば、15年も本性を現さなかったということになる。また、その間、黄長Y氏らが2000年に結成した代表的な脱北団体である脱北者同志会の集いにも頻繁に顔を出していたというから驚きだ。いつ命を狙われてもおかしくはなかったはずだ。

 仮に偽装脱北ではなく、脱北したが故に家族が強制収容所に送り込まれたことで、贖罪意識を感じ、家族の出所と待遇を引き換えにやむにやまれず暗殺の指示に従わざるを得なかったというならば、途中で北朝鮮に寝返ったということで理解できなくもない。

 それよりも昨年末に金徳洪氏を殺害しようとして失敗し、そこで、今度はモンゴルに飛び、ウランバートル駐在の北朝鮮大使館で朴代表の殺害指令を受けたとのことだが、先月3日にこの男から「日本に(北朝鮮へのビラ配布などの活動を)助けたいという人がいる。ソウル市内の地下鉄に一人で来い」との誘いがあったとの朴代表から通報を受けるまで、韓国当局がこのヒットマンの所在、動静を掴めなかったというのは問題ではないだろうか。