2005年2月8日(火)

北朝鮮のサッカーチームが来日

 北朝鮮の選手団が来日した。1日置いて9日に試合を行い、翌10日には離日する。日本での滞在日程が少し短すぎる気もするが、日本も6月のアウエーでは同じように3泊4日ということになる。それにしても北朝鮮サッカーに関する情報はあまりにも乏しすぎる。

 韓国に亡命した元監督の話をベースに伝えているが、最も大きな誤認は93年のW杯予選に敗れたことに激怒した金正日総書記が「今後10年間は国際競技に出るな」と言ったことで北朝鮮が10年間海外で試合をしてこなかったかのように伝えられていることだ。実際には5年後の98年から海外に出て試合をしている。

 例えば、98年にはアジア大会の予選に、99年にはシドニー五輪予選に、2000年2月にはシリアに遠征し、また4月にはアジアカップの予選にも出ている。さらに2001年には中東に遠征し、エジプトやヨルダン等とAマッチの試合を行っており、7月にはサウジアラビアとも試合をしている。この年の8月には上海で開かれたサムソンカップに出場し、中国、クエイト、トニダードトバコを相手に優勝している。

 そして2002年にはキプロスに遠征し、2月にはタイで開かれたキングスカップで優勝している。極め付きは、9月にソウルで開かれた韓国との試合だ。試合は引き分けに終わったが、W杯4位の韓国を相手にFIFAランク126位の北朝鮮が押し気味に試合を進めていた。

 2003年2月には再度キングスカップに出場し、スウェーデン、カタールなどと戦っている。勝敗は別にしてそれなりに国際経験を積んできている。

 北朝鮮の選手をクラブ別にみると、軍人クラブの「4.25」が圧倒的に多い。

 「4.、25」は金正日総書記が後継者に決まった72年に結成された。66年のロンドンW杯でベスト8入りし、「東洋の神秘」とか「東洋の真珠」と世界中にその名を轟かせたにもかかわらず僅か6年後のミュンヘン五輪予選で敗退したことが「4.25」結成の引き金となった。

 金総書記は「強い意志と忍耐を鍛えよ。強い意志と忍耐こそが選手の生命線でもある」「サッカーで世界を制しろ」と国技のサッカの再建に力を入れてた。

 男子が低迷していたのをよそに女子は著しい成長を遂げ、アテネ五輪の出場を逃したものの今ではアジアを制し、世界を狙える位置にまで実力を付けている。

 女子の宿舎には「サッカーで覇権を取れ」との看板さえ掲げられている。北朝鮮の男子サッカーにとって日本との試合は11年ぶりですが、格下の日本に負けた女子の敵を討てるのか、あるいは返り討ちに会うのか、試合はやってみなければならないが、「4,25」の選手はサッカーは一種の戦争と捉えている。