2010年10月11日(月)
労働党創建65周年の日に黄元書記が死去とは
労働党創建日の日に韓国に17年前に亡命した元幹部の黄長Y(ファン・ジャンヨプ)党書記が亡くなった。
黄元書記の訃報は、金正日総書記にとっては「吉報」となったことだろう。
「裏切り者は消せ」とばかり、17年間にわたって命を狙ってきたのに、何ら手を下すまでもなく、心臓麻痺で亡くなったわけだから、してやったりだろう。
結局、「金正日はそう長く持たない」と言っていた黄氏が先に逝ってしまったわけだ。当然のことだが、こと寿命では86歳の黄氏は68歳の金総書記には勝てなかった。金正日体制打倒のため最愛の妻と家族を犠牲にしてまで亡命したのに結局、何も出来ぬままこの世を去った。
日米や韓国では黄氏が党幹部の1人であったことから後生大事にしていたが、黄氏は所詮反体制派のリーダーになれる立場の人ではなかった。4年前にソウルで会った時にそのことを強く感じた。
年齢的なこともあるが、何よりも、人望がいま一つない。一緒にソウルに亡命した秘書の金徳弘氏が間もなく袂を分かれたことがその証左だ。秘書1人面倒を見れずして、韓国など海外に散った亡命者らをまとめるのはこの学者には無理だと思った。
これまで韓国で数多くの亡命者らに会ったが、多くは労働者、一般市民だった。彼らにとっては、北朝鮮でも幹部として厚遇されていた人物が韓国に来ても生活面で特別扱いされていることへの反発があった。実際に不平を公然と口にしていた亡命者もいた。
10人しかいない書記の1人として金総書記の最も身近にいながら、文句の一つも言えず、安全地帯の韓国に来て、北朝鮮国民に向け「立ち上がれ!」とけしかけても今一つ説得力がないと感じた。
平壌で党創建60周年記念式典と軍事パレードが行われた昨日、脱北者らが「自由と民主主義と、人間の尊厳を勝ち取るため命を懸けて戦え!」と北朝鮮の市民に決起を促すビラを北朝鮮に向けばらまいていたが、自分らが北朝鮮にいた時には決起せず、戦わず、韓国に逃げてきてから「決起せよ!」と叫んでも「犬の遠吠え」にしか聞こえないのかもしれない。北朝鮮にノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏のように国内にとどまって民主化のため戦う勇気のある者が出ない限り、北朝鮮の体制は当分安泰だろう。
ビラのばら撒きが北朝鮮を揺さぶる心理作戦の一環としてはそれなりに効果があるのだろう。だからこそ北朝鮮も韓国政府に中止を求めているのだろうが、黄元書記を最後にこの17年間、俗に言う党幹部と呼ばれる248人いた党中央委員及び中央委員候補から誰一人脱北者は出なかった。また、数百人いる将校、将軍からも誰一人韓国への亡命者が現れなかったことが、その限界を示しているのもまた事実だ。
今代表者会では新たに中央委員に124人、候補委員に105人、合わせて229人が選出された。北朝鮮では彼らを持って、党幹部と称する。金正恩体制への移行過程で、黄元書記に続く大物亡命者が出るのかどうかで、金正恩氏の将来をある意味では占うことができるかもしれない。
ところで、昨日の軍事パレードでは、ノドンとテポドン・ミサイルはお見えしなかったそうだ。もしやと思ったが、すべては見せなかったようだ。それでも、旧ソ連型潜水艦発射中距離弾道ミサイル「SSN−6」の改良型が登場していた。テポドンよりは性能が良く、射程距離は3200km以上と推定され、一説ではグアムをいつでも射程圏内に定めることができるようだ。
米国の軍事専門家らは咸鏡北道花台郡の舞水端(ムスダン)基地から発射実験が行われていることから「ムスダン」と呼んでいるようだ。日本に向け配備されているノドン・ミサイルは咸鏡南道咸州郡労働(ノドン)里の基地から、またテポドン・ミサイルは咸鏡北道花台郡太浦洞(テポドン)の基地から発射されているので「テポドン」と呼称されている。
軍事パレードの閲兵式で報告した李英浩人民軍総参謀長は「米国と追随勢力らが我々の自主権と尊厳に触れるなら、核抑止力を含むすべての物理的手段を総動員して、正義の報復打撃で持って侵略の本拠地を木っ端微塵にする」と豪語していたが、本拠地とは、当然米国の本土を指すわけで、ここまで言うには、米本土と日本に届くミサイルとそれに搭載する核がなければできない話だ。
テポドン・ミサイルなど長距離ミサイルを展示しなくても、「ムスダン」だけで十分と考えているのかもしれないが、さて、オバマ政権がこれに今後どう対応するのだろうか。