2010年9月30日(木)
謎だらけの党代表者会
党代表者会があっという間に終わった。会議は予想したとおり、三男の正恩氏を後継者にするための大会だった。にもかかわらず、公開された二枚の写真には当の本人の姿は映ってなかった。
一枚目のひな壇の席に座ってなかったのは、それなりの理由がある。
会場のひな壇に着席していたのは全員が代表者会の準備委員の面々だ。代表者会代表の金正日総書記以下準備委員会は金永南最高人民会議常任委員長、金英春人民武力相ら16人から成っていた。
後継者の正恩氏は準備委員会のメンバーに選ばれていないので壇上に上がっていなかったわけだ。金総書記の妹、金慶喜党軽工業部長が会場の一般席に座っていたのもそのためだ。
もう一枚目の会場が映っている写真だが、向かって左側がカットされて配信されていた。
右側には政治局員に選出された金慶喜氏が映し出されていたが、もしかして左側に着席していた可能性も否定できない。金慶姫氏が右側のど真ん中にいたとするなら、正恩氏もまた左側のど真ん中にいた可能性もある。
仮に一般席に着席してなかったとすれば、舞台裏に陣取り、党代表者会を仕切っていた可能性も考えられる。
いずれにしても、会場内にはいたことは間違いない。というのも、金総書記が錦繍山記念宮殿広場で代表者会出席者ら全員と記念写真を撮った際に一緒にいたことが北朝鮮の国営放送によって確認されているからだ。出席していたからこそ集合写真におさまったのだろう。10月10日の労働党創建60周年式典での劇的なデビューのため、あえて写真公表を控えたのだろうか?
それにしても、謎の多い党代表者会だった。幾つか、その謎を列挙してみよう。
第一に、党代表者会は28日の一日で終わったにもかかわらず、最高指導機関の選挙結果をその日のうちに速報せず、翌日に報道したことだ。それも、国民が寝込んでいる深夜に報道されている。
正恩氏に大将の称号を与えたとの一報は深夜1時、「軍事委員会副委員長に就任した」と発表したのは、4時という具合だ。金総書記の承認なくして、大事は報道できないことを考えると、金総書記が真夜中にゴーサインを出したことになる。なぜ、真夜中なのだろう?
第二に、写真を公開しておきながら、映像を未だ公開してないことだ。
昨年4月に行われた最高人民会議で登壇する際によろめいたことがトラウマになっているのか、それとも健康状態をチェックされ、体調が万全でないことを悟られるのを恐れたのかどちらかだろう。軍部隊や工場など現地視察の際に公開される写真と違って、遠距離からのぼやけた写真を、それもたった一枚だけ出したことがその証左ではないだろうか?「9月上旬に開催」予定の代表者会が28日までずれたのは、やはり金総書記の健康問題に原因があったのでは?
第三に、妹夫婦(張成沢・金慶喜)への処遇がちぐはぐなことだ。
妹の金慶喜氏は政治局員に選ばれているのにその夫の張成沢氏はワンランク下の政治局員候補だった。
また、妹には大将と言う称号を与えていたにもかかわらず、党軍事委員に選出せず、軍人でもない、まして大将の称号も与えられてない夫は軍事委員に起用している。さらに、金慶喜氏は準備委員に選ばれなかったのに張成沢氏は選ばれ、ひな壇に着席していた。このチグハグをどう理解すればよいのか?この夫婦の上下関係は一体どうなっているのだろうか?
第三に、政治局常務委員を有力視されていた国防委員会副委員長の金英春人民武力相が落選して、まだ国防委員にもなってない李英鎬(イ・ヨンホ)軍参謀総長が金英春次帥を抜いて、金総書記を含めたった5人しかいない政治局常務委員に選ばれたことだ。
人民軍を統率する人民武力相より、陸海空を束ねる軍総参謀長のほうが政治局でのポストが上というのは前代未聞である。金英春次帥の心境はいかに。
その他、韓国のメディアで失脚、処刑説が流れていた鄭泰夏(チョン・テハ)前宣伝局担当党書記)が中央委員に選出されていたことが確認されるなど注目すべき事が多々あったが、詳細に触れても、おそらくマニアにしかわからないだろう。
党代表者会は終わったので、次は、来月の10日、党創建65周年の軍事パレードに世界の関心は注がれることになる。