2011年12月20日(火)
金正日総書記の急死
北朝鮮で「特別放送」を予告し、約2か月近く姿を現さなかった例の女性アナウンサーも喪服姿で登場し、金正日総書記の死去が伝えられた。
金総書記の死去は大きな衝撃となった。多分、今年の世界の10大ニュースの上位に入るのは間違いないだろう。
金総書記の突然の死去はあまりにもあっけなかった。08年に脳卒中で倒れたものの回復の傾向にあっただけに一般には大きな驚きをもって受け止められているが、金総書記の健康問題については「先が長くない」とみていた。
というのも、今年2月14日のマスコミ倫理懇談会で金総書記の健康問題について以下のように触れていた。
「私が金正日総書記の健康問題について考える際、その基準とするのは長男・正男氏の発言です。マカオで日本のメディアに総書記の健康問題を聞かれ、一瞬口ごもりながら『それについてはお答えできません』と言いました。日本の政治家の息子ならば、父親が寝込んでいても『元気ですよ。ぴんぴんしています』と答えるでしょう。08年に金総書記が倒れたとの一報が流れた際、当時中国に滞在していた正男氏が中国当局にかけ合い、北朝鮮に医者を飛ばしたのです。しかし中国の医師ではだめで、今度は正男氏が自らフランスに渡り、その道の専門家を北朝鮮に送り込みました。何度も正男氏の映像を見てきましたが、彼が背広にネクタイを締めていたのは、その専門家を病院に訪ねた時一度だけです。彼はある程度礼儀をわきまえているのだなと思ったと同時に、他の誰よりも父親の健康問題を気遣っていると思いました。ですから、その正男氏が『お答えできません』と答えたというのは、先が長くはないのではないかと思えてきます。去年44年ぶりに労働党代表会を開催し、三男を後継者として指名を急いだのも、健康問題が理由だと思います」
いずれにせよ、金日成主席の死去の時と同様に金正日総書記の死去に北朝鮮だけでなく、日米韓、さらには中国にも激震が走ったのは間違いない。
今から17年前の1994年7月に金主席が死去した際に「朝鮮半島Xデー」という表題の本をDHCから緊急出版したが、その序論で次のように書いた。
「北朝鮮の最高実力者金日成主席が1994年7月8日、突如死去した。核疑惑をめぐる米朝交渉の最中に、また、歴史的な南北首脳会談を目前にした金主席の死去だけに、内外に大きな衝撃を与えている。過去半世紀にわたって権力を保持してきた金主席は北朝鮮の国民にとって言わば『生きた神様』のような存在で、太陽のように崇められてきた。『生きた神様』が亡くなり、太陽が消えたわけである。金主席の後継者は子息の金正日書記。金書記が父親の金日成主席に比べてカリスマ性に欠けるだけに、韓国を含めた国際社会は今後の北朝鮮の動向に最大の関心を払っている。特に、金日成主席の約束を基に北朝鮮の核問題の解決に乗り出した米国は、金正日体制が今後どのような対応を示すのか、注視している」
金日成主席を金正日総書記に、また金正日総書記を金正恩氏に置き換えれば、同じことが17年経った今も言えるのではないだろうか。