2011年3月2日(水)

金総書記とカダフィ大佐の因縁

 今のリビアの「政変」を、カダフィ大佐の窮地を、同じ年の金正日総書記はどう受け止め、どのような思いでみているのだろうか? 

 韓国のメディアでは、金総書記はリビア情勢に戦々恐々になっていると、報道されているが、本当にそうだろうか? 

 エジプトやリビアでの民衆暴動に慌てふためき、飢餓寸前の人民を宥めるため後継者の正恩氏を近々中国に派遣し、食糧支援を要請するとの情報がどこからともなくまことしやかに流れているが、ピープルズパワーを軽視できなくなったというなら、北朝鮮は今度の中東の事態に深刻な影響を受けているということになる。

 それでも、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊、東独・東欧諸国の瓦解、ソ連邦の崩壊、そして、中国の天安門事件の時ほどのショックはないのではないか?

 カダフィ氏は昨日、「米国に見捨てられた」と語っていた。核開発計画の放棄を見返りに体制保障した米国だったが、どの国よりもいち早く、カダフィ政権を見限った。米国内の資金を凍結する一方で、リビア周辺に艦船や空軍を移動させるなど、英国とともに軍事介入も辞さないとの構えさえ見せている。

 リビアが米英両国との秘密交渉の結果、極秘に進めてきた核兵器開発計画の全面破棄と査察の即時受け入れを2004年2月に表明した際に、カダフィ大佐は、長年の反米同志だった金総書記に対して「自らの国民に悲劇が降りかかることを防ぐためにもリビアに倣うべきだ」と忠告していた。

 当時、金正日政権は「米帝国主義の威嚇・恐喝に負けて、戦う前にそれまで築いてきた国防力を自分の手で破壊し、放棄する国がある」と、米国の圧力の前に白旗を上げたとしてカダフィ政権を嘆いていた。

 米国との関係正常化をきっかけにカダフィ政権は、北朝鮮との軍事協力関係を断ち切り、武器やミサイルの購入も打ち切った。そして経済協力を仰ぐため韓国との関係を重視した。この瞬間、同盟条約が解消された。

 実は、北朝鮮とリビアは、カダフィ大佐が初めて訪朝した1982年11月に同盟条約を締結し「双方が保有していない兵器」を相互提供することで合意していた。

 この合意に基づき、北朝鮮はスカッドミサイルとミサイル技術を供与してきたし、2000年には弾道ミサイル・ノドン50基を輸出する契約まで交わしていた。北朝鮮は中東へのミサイル売却代金でロシアから最新戦闘機を購入するなど軍事力を増強してきた。それだけにリビアの「裏切り」は北朝鮮には相当堪えたはずだ。

 カダフィ大佐の忠告に当時、北朝鮮は「恥知らずにも他の国々に対して自分の『模範』に見習えと勧告までしている」とカダフィ大佐を痛烈に批判していた。

 当時を考えると、金総書記はおそらく、今まさに逆に自らの身に悲劇が降りかかっているカダフィ氏に対して憐みや同情よりも、むしろ「当然の帰結」と、突き放してみているのではないだろうか。「変節者」の末路は、実に惨めである、とつぶやいているかもしれない。換言すれば、あの時、リビアを見習わず良かったと、胸を撫で下ろしているのかもしれない。

 それともう一つ、カダフィ政権がこんなに脆弱な政権とは思っていなかったかもしれない。外国人傭兵に頼らざるを得ないとはなんとも情けないと、呆れているかもしれない。

 考えてみれば、一応リビアにも7万5千人の兵力がいる。それでも、110万人の兵力を擁する北朝鮮とは段違いだ。両国の軍事力だけをみると、相撲の番付に例えれば、北朝鮮とリビアとでは関脇と序の口ぐらいの力の差がある。金総書記はおそらく、今頃自主国防、「先軍政治」は正しかったと部下らを前に自画自賛しているかもしれない。

 皮肉な見方だが、金総書記が今のリビア、カダフィ大佐から学ぶことがあるとすれば、核とミサイルは、そう簡単には手放してはならないということかもしれない。ドルをいくら持っていても軍を掌握してなければダメだということかもしれない。さらに今後も、何はなくても軍人を優先させなければならないという教訓かもしれない。

 金総書記が断末魔のカダフィ大佐の境遇を見て、原因は独裁政権にあるとの教訓を得て、改革・開放、そして民主化に向かえば、米国や韓国にとっては願ったり叶ったりだが、逆に彼の末路を見てさらに「先軍政治」に拍車をかけるようなことになれば、困るだろう。