2011年5月24日(火)
訪中は正恩でなく、正日
金正日総書記がまたまた中国を漫遊している。
先週の金曜日(20日)に中朝国境を越え、中国吉林省の図們に入ってから今日で5日目。長春を通って、昨日は江澤民前国家主席の地元、江蘇省の揚州を訪れていた。
この後、さらに南下し、270km離れた上海を10年ぶりに視察するのか、あるいは北上し、北京に入るのか、それともこのままU-タウンして帰国するのか、本人のみぞ知る。
金総書記の過去7回の訪中を調べてみると、最短が2004年4月の3泊4日、最長は2006年1月の7泊8日だった。上海にまで足を伸ばし、北京を廻って帰国ということになれば、最長期間の訪中の旅となるだろう。
中国系香港紙・大公報は「正恩も訪中」と報じていた。しかし、依然として未確認のままである。
昨年5月、8月二度にわたって金総書記が訪中した時も「正恩同行説」が流れたことがあったが、確認されなかった。正恩氏に誰も会ったことも、見たこともないわけだから致し方なかったかもしれない。スイス留学中に撮られた15〜16歳の頃の写真で27歳の成人男性を識別するのは容易なことではない。
しかし、昨年9月の労働党代表者会に初めて姿を現して以来は誰もが彼の顔、姿、形を知っている。父親に連れ添っていれば気づかれないはずはない。列車の中に閉じこもっていれば話は別だが、朝鮮族の多い「延辺を訪れていた」との香港紙の報道が事実ならば、仮に単独行動であっても人目につくはずだ。
過去の慣例からして、金親子が一緒に外遊したためしがない。
過去に一度、1965年に先代の金日成主席がインドネシアを訪れた際に長男の金正日氏が一度随行したことがあった。しかし、当時は大学を出たばかりで、まだ後継者にはなってなかった。言わば、卒業記念に連れて行ってもらったようなものだ。
ところが、1972年に後継者に内定してからは以後、一度も金主席の外遊にお供したことはない。金主席が訪中、訪ロした際も、東欧諸国を歴訪した際にも留守をあずかっていた。特に金主席の訪中は91年10月の訪中を最後に27回の非公式訪問を含め延べ39回も訪中していたが、一度も一緒に行ったことはなかった。
親子とはいえ、No.1とNo.2が一緒に国外に出るということは中国の場合でもない。胡錦濤主席と温家宝総理が一緒に訪朝することがあり得ないのと同じように党軍事員会委員長及び副委員長である金正日・正恩の両氏が揃って、国外に出ることは常識では考えられない。外遊中に有事(クーデター、民衆蜂起、米韓との軍事衝突など)が起きれば、それこそ大変なことになるからだ。
「金正恩単独訪中」がそれでも根強く取沙汰されるのは、今年1月からその可能性が囁かれていたからだろう。だからこそ、20日に特別列車が国境を越えた瞬間、韓国のメディアは一斉に「正恩訪中」とフライングしたのだろう。もちろん、日本のメディアがそれに右倣い、「金正恩訪中」を速報したことは言うまでもない。結局は誤報だった。列車に乗っていたのは、正恩氏ではなく、父親の金総書記だった。