2012年1月23日(月)

「正恩記録映画」の秘話

 金正日総書記の生前の活動を伝えるドキュメント映画が公開された。

 馬に乗るシーンから始まる金正恩氏の映像は誕生日の8日に放映されたものだが、金総書記の2本のうち1本は亡くなる2日前までの動静を収めたものである。

 正恩氏関連の記録映画では長距離弾道ミサイルを指す「人工衛星」の発射を父親と共に管制総合指揮所で参観していたことが確認できたが、北朝鮮の対韓機関・祖国平和統一委員会のウェブサイト「わが民族同士」の文書で言及されていた「過去の核実験を指揮していた」とされるそれらしきシーンはなかった。

 ウェブサイトの文書は正恩氏が核実験で「国家の威力を最強にするための大作戦を陣頭指揮し、敵たちの肝を冷やした」と宣伝しているが、おそらく09年4月の人工衛星(テポドン)発射実験と5月の核実験を指すのだろう。陣頭指揮したのが事実なら、本当にやっかいな人物が後継者になったものだ。

 というのも、正恩氏はテポドン発射の際に「迎撃されれば戦争を決心する」と話していたからだ。「戦争を覚悟してまでも」とは普通ではない。しかし、普通ではあり得ないことが現実に起ころうとしていたわけだから北朝鮮は半端ではない。

 当時、米国のゲーツ米国防長官は北朝鮮がテポドンの発射を強行すれば、ミサイル防御(MD)システムによる迎撃も辞さないと、北朝鮮を牽制していたのは周知の事実だ。

 迎撃が発射段階からなのか、あるいは米国の領海に侵入した段階で撃ち落すのかは定かではなかったが、迎撃計画は海上のイージス艦に装着されているSM―3と地上のパトリオットミサイル、さらにはアラスカ基地の100基の戦略迎撃ミサイルで撃ち落すという三段構だった。

 日本もイージス艦と早期警報レーダーによるミサイル防御体系(JADGE)を敷いていたが、6隻のイージス艦には最新型AN/SPY−1D(V)レーダーが装着され、このうち4隻には弾道ミサイルを迎撃できるSM−3ミサイルが搭載されていた。

 日米のこうした動きに対して発射約1か月前の3月9日に朝鮮人民軍総参謀部が日米による迎撃を「宣戦布告」とみなし、「平和的衛星に対する迎撃行為に対しては最も威力のある軍事手段により即時に対応打撃で応える」との声明を発表し、「我が革命武力は躊躇なく投入されたすべての迎撃手段だけでなく、迎撃陰謀を企てた日米侵略者と南朝鮮(韓国)の本拠地に対して正義の報復打撃戦を開始する」と攻撃を加えることを宣言していた。

 北朝鮮は当時、米韓合同軍事演習を理由に全軍に発令した「戦闘動員態勢」を3月20日に演習が終了したにもかかわらず解除しなかった。今に思えば、米国の迎撃に本気で報復するつもりだったのだろう。そして、これを先頭に立って指揮していたのが他ならぬ正恩氏だと言うのだ。

 産経新聞が10日付で報じたところによると、北朝鮮国防委員会の朴林洙(パク・リムス)政策局長は、09年4月のミサイル発射直後に訪朝した米国務省元高官に対し、「迎撃は戦争行為と見なし、わが方はただちに空軍機で、迎撃ミサイルを発射した日米のイージス艦を撃沈する態勢だった」と語ったそうだ。

 報復すれば、北朝鮮ミサイル基地への米国による猛烈な反撃は避けらない。これに応戦すれば、局地戦争、全面戦争に発展するのは必至だ。これは悪夢だ。

 北朝鮮は過去2度のテポドンミサイル発射を「人工衛星」と称した。「人工衛星」ならば撃ち落とすわけにはいかない。どの国にも宇宙開発の権利が認められているからだ。従って、迎撃されれば、反撃するとの主張も筋の通らない話ではない。

 結局、当時はクリントン長官がミサイルとは呼ばず、「米国には北朝鮮のロケットを撃ち落とす計画はない」と公言したことで、またこの「ロケット」が日本の領域に落下せず、日本列島を飛び越えたことで何事もなくおさまった。

 しかし、今度は「大陸弾道弾ミサイル(ICBM)を発射する」と堂々と宣言している。この「ICBM発射宣言」から3年が経つ。すでにその発射台も北西の東倉里にほぼ完成している。

 そして、今は「戦争を覚悟してでもやる」という人物が最高司令官になった。それも少し前までコンピューターゲームに熱中していた怖いもの知らずの29歳の若者だ。