2012年7月18日(水)
李総参謀長の解任劇
北朝鮮序列No.5の李英鎬政治局常務委員兼軍総参謀長(次帥)の唐突の解任には驚かされた。金正恩党第一書記兼最高司令官(29歳)の後見人の一人とみなされていたからだ。
病気を解任の理由に挙げているが、北朝鮮は肉体声明よりも、政治生命を重んじる国だ。その証拠に、金日成時代の呉振宇人民武力相(兼国防第一副委員長)も、後任の崔光人民武力相(兼国防副委員長)も、また金正日時代の趙明録軍総政治局長(国防第一副委員長)も不治の病で病床にあって、長期間職務不能に陥っていても、死ぬまで職を解かれることはなかった。
李次帥は総参謀長になってまだ3年8か月、政治局常務委員になってまだ1年8か月。政治局員及び候補局員合わせて29人のうち70代と80代が18人も占めている。それに比べ李次帥はまだ69歳と若い。やはり何か他の理由があったのだろう。
解任は李次帥を除く28人の政治局員及び政治局員候補らが出席して15日に開かれた党中央委員会政治局会議で決定している。15日と言えば、日曜日だ。まして、発表は寝静まった深夜に発表されている。何か変だ。
思えば、2010年5月には金鎰侮汾メi80歳)が人民武力部第一副部長と国防委員の職を「年齢の関係」で解任され、また昨年3月には朱相成(77歳)人民保安相兼国防委員が李総参謀長と同じように「病気」を理由に電撃解任されている。しかし、この時はいずれも国防委員会による決定事項だった。しかし、今回は、政治局会議まで開いて決定している。それほど事は重大だったということだ。
ちなみに金鎰侮汾モフ解任が80歳の高齢が理由なら、当時84歳の趙明祿次帥も人民軍総政治局長及び国防第一副委員長のポストからとっくに解任されてなければならなかった。また、8歳年上の、国防副委員長の李容茂次帥も、同じ歳の呉克烈国防副委員長も、3歳年上の金永南最高人民会議常任委員長や楊亨變同副委員長(86歳)もしかりである。金正日国葬の葬送パレードで霊柩車に寄り添っていた崔泰福党書記(81歳)も金基南党書記(82歳)らも本来ならばとっくに解任されてしかるべきである。金次帥の解任も年齢が理由でないことは誰の目にも明らかだ。
後任を噂されているのは李英鎬次帥と2002年に中将に同時昇級した玄英哲次帥(第8軍団長)のようだが、過去のケースでは、総参謀長の任命は、国防委員会委員長でもあり、党軍事委員会委員長である金正日総書記が決定し、「金正日の名」によって発表されている。前例に従えば、国防第一委員長兼党軍事委員会委員長になった金正恩党第一書記の名によって発表されることになるが、今回は、どういう形式を取るだろうか?
仮に李総参謀長の解任を権力抗争の結果という見方に立てば、序列No.4の崔龍海(62歳)軍政治局長(政治局常務委員)と彼の背後にいる張成沢(66歳)国防副委員長(政治局員)によって蹴落とされたのかもしれない。
張成沢氏のバックには「女帝」のような存在である金正日総書記の妹、金慶喜書記(66歳)(政治局員)がいる。さらに、2007年から病床中の趙明録総政治局長にかわって第一副局長として総政治局を仕切ってきた金正角(71歳)人民武力相(政治局員)も政治局会議で解任に同調したのかもしれない。
今回の解任劇を毛沢東亡き後の「4人組騒動」に発展した中国の権力抗争に置き換えてみると、差し詰め、金正日総書記の妹、金慶姫政治局員が毛沢東夫人の江青(共産党政治局委員)で、張成沢政治局員が江青の信頼厚い張春橋(同政治局常務委員)、金正角政治局員がイデオロギー担当の姚文元(同政治局委員)、さらに金正日総書記が寵愛し、党軍事委員会副委員長に抜擢した崔龍海政治局常務委員が毛沢東の溺愛を受け、異例の大昇進を遂げた王洪文(党副主席)という構図になる。
こうした構図に立てば、李英鎬総参謀長は野心を抱き、最後は毛沢東に謀反を企てたとして4人組によって駆逐された林彪(国防相)ということになる。
そうなると、金正恩氏は、毛沢東の後継者に指名された華国鋒(党主席)となるが、中国の歴史では、権力抗争の最終章は、華国鋒が保身のため4人組を逮捕をし、その華国鋒も最後は、ケ小平らに権力を奪われてしまっているが、さて、北朝鮮は?