2011年12月5日(月)

1年半前の日朝水面下交渉

 昨日の日曜に「北朝鮮、拉致再調査委を打診 昨年、制裁一部解除」という見出しの報道があった。共同通信配信の記事だ。

 「北朝鮮が2010年5月、経済制裁の一部解除を条件に、拉致被害者をめぐる再調査委員会の設置を鳩山政権に打診していたことが分かった。官邸は拉致問題進展の可能性もあるとして、国際情勢を見極めながら詰めの折衝を行う訪朝団の人選に着手したが、翌6月に鳩山由紀夫首相が退陣、白紙に戻った」とのことだ。

 記事を読む限り、北朝鮮が働き掛けたとなっている。それならば今後も同様の動きが期待できるのだが、どうやら日本からの働き掛けに北朝鮮が応じたというのが実情のようだ。

 民主党の川上義博参議員議員が昨年5月に訪朝し、面会した金永日(キム・ヨンイル)党国際部長に対して福田政権下で交わした日朝合意(安否不明者の再調査と制裁の一部緩和)の履行を促したというのが真相のようだ。

 それも、今の野田政権がやっている話ではない。1年半前の古い話だ。

 そもそも過去にも日朝水面下での交渉は、安部、福田、麻生政権下でもあった。いずれも日本側からの働き掛けだ。そしていずれも日の目を見る直前に総理が退陣してしまったためとん挫している。拉致問題が進展しない要因の一つは総理が1年でコロコロと変わる日本の政情不安にもあることは誰の目にも明らかだ。

 思えば、来年で小泉訪朝10年となるが、拉致問題は遅々として進展しない。何の変化もない。変化があったとすれば、この10年で6人も総理が変わったことだ。

 そして総理の誰もが就任時は当然のごとく拉致問題解決の決意を口にする。

 小泉総理の後を受けた安部総理は「拉致問題の一刻も早い解決を図りたい」(07年8月20日)と胸を張ったが、解決どころか、問題をさらにこじらせてしまった。

 次の福田総理は「私の手で問題を解決したい」(07年9月17日)と意気ごみ、1年後の8月には北朝鮮から拉致被害者の安否再調査の回答を引き出したもののそこまでだった。

 続く、麻生総理は「拉致問題は時間との勝負。答えを急いで出したい」(08年10月2日)と大見得を切ったものの、何の答えも出せないまま、退いてしまった。

 政権交代で登場した鳩山総理は「拉致問題で積極的に取り組むところをお見せしたい」(09年9月29日)と拉致被害者家族会との面会で約束したものの言葉だけで終わった。

 後任の管総理もしかりで「拉致問題については、国の責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国に向けて全力を尽くす」(10年6月11日)と所信表明したものの何も出来ぬままだった。

 そして、今は野田政権だ。

 野田総理も所信表明では前任者同様に「すべての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現するため政府一丸となって取り組む」(11年10月28日)との決意を表明していたが、このままでは野田総理も前任者と同じ轍を踏むことになるだろう。