2012年8月31日(金)

日朝協議と日本の政局との相関関係

 日朝予備協議は3日にわたった。

 北朝鮮側は建前上は「拉致問題は終わった」とか「解決済み」と言っているが、本音では、再調査に応じる意向だ。

 実際、安部政権下でも「横田めぐみさんの偽遺骨」で膠着状態に陥った拉致問題打開のため政務秘書官の井上義行氏の訪朝を受け入れている。2007年9月(4−6日)にはモンゴルで日朝作業部会にも応じている。

 合意には至らなかったものの、美根大使によると、北朝鮮はこの時「拉致は解決済み」との言葉は使わなかったそうだ。

 双方とも「可能な限り作業部会をひんぱんに開催していく」ことで合意し、その結果を受けて、日本政府は作業部会終了後の9月7日 北朝鮮の水害支援を呼び掛けた国際機構に日本赤十字社を通じて3千万円を「寄付」。しかし、作業部会から一週間後の9月12日、安部総理が突如退陣を表明してしまった。

 井上氏は「向こうから『拉致で協議したい』と言ってきたからには、生存者は必ずいるはずだ。北朝鮮側は当時、安倍内閣の支持率を気にしていた印象があり、選挙で勝っていれば本格的な協議が始まった可能性もあった」と語っている。

 後を継いだ福田政権下では、北朝鮮が日本人拉致被害者の再調査などに応じた場合、北朝鮮の水害被害に対する人道支援に踏み切る方向で検討に入った。10月13〜14日 中国・瀋陽で日朝実務担当者による非公式協議が行われ、

 「北朝鮮が拉致問題で誠意ある対応を示せば、制裁の解除や中断もあり得る」と伝えた。

 そして、協議終了後の19日には矢内外務次官が広島で朝鮮人被爆団体幹部と会い、「拉致問題や核実験への制裁と関係ない問題なので、人道的、例外問題として対応する」と述べ、在朝被爆者に対して被爆健康手帳を取得できる法案を希求すると約束した。

 翌年の2008年6月には中国で外務省局長級の日朝非公式協議が行われ、北朝鮮側が再調査とよど号問題の解決に協力することへの見返りとして日本側は人的往来の規制解除、チャーター便の規制解除、人道的例外として民間による人道的支援物資輸送を目的とする北朝鮮国籍船舶の入港許可など一部制裁解除を約束した。

 翌7月にはASEANのARF会議で同席した高村外相は朴宜春外相に「諸懸案を解決し、日朝関係を進めよう」と要請すると、朴外相は「同意する」と返事。8月12日には瀋陽で本協議を開き、日朝合意が正式に交わされた。

 宋日昊国交正常化交渉担当大使は拉致被害者の再調査について「我々が実施すると言ったので、そのまま理解すれば良い」と述べ、北朝鮮は遅くとも秋までに再調査を終え、日本側に通告することを約束していた。福田総理は再調査の進展次第によっては中山大臣の訪朝も検討していた。

 しかし、北朝鮮が再調査委員会を立ち上げる寸前の9月1日、福田総理が辞任してしまった。高村正彦外相は5日の会見で北朝鮮側から「日本側の事情にかんがみ、新政権が(日朝合意の)履行についてどういう考えなのかを見極めるまで調査委員会発足を差し控える」と通告してきたことを明らかにした。

 政権交代した民主党の鳩山政権も同様だ。

 北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、複数の民主党関係者が政権発足後数回にわたって中国で北朝鮮側と極秘に接触し、拉致被害者の行方を確認するよう要求していた。一連の接触で北朝鮮側からは、名前や身分など具体的なことは明らかにしないものの、「体をこわした人がいる」という返事があったとも伝えられている。

 宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使は翌2010年4月、平壌で共同通信の取材に応じ、「朝鮮学校が無償化されれば、政権が代わって新しくなったと受け止め、こちらとしてもやるべきことをやる」と述べ、この問題が決着すれば、鳩山政権との間での対話再開の用意があることを示唆した。

 北朝鮮側は5月には制裁の緩和を条件に再調査委員会の設置を非公式に打診したが、鳩山総理が6月2日に退陣を表明し、これまた頓挫している。