2010年4月6日(火)

来日した黄元労働党書記の「拉致発言」

 米国からの帰途、一昨日来日した黄氏は昨日(5日)は、横田滋夫妻ら拉致被害者家族らと面会したが、案の定、拉致問題についてはこれといった情報は持ってなかったようだ。「何か手がかりになれば」と期待していた家族らは多少落胆したかもしれない。

 というのも、黄元書記は、2003年6月に訪韓した横田さんら家族会のメンバーと会った際にも「拉致問題について知っていることはない」と語っていたが、当時は、韓国は金大中政権の太陽政策を継承した盧武鉉政権下にあって黄氏は実質的に「自宅軟禁状態」に置かれていたので横田さんらは「韓国では言いたくても、言えなのでは」と思っていたからだ。

 確かに、一昨年2月に韓国で政権交代が実現し、保守政権の李明博政権が誕生するまでの間、黄氏の言動は、北朝鮮に融和的な金大中―盧武鉉政権によって著しく規制されていた。

 今から4年前の盧武鉉政権下の06年7月、テレビの仕事で訪韓し、黄氏に単独で会い、インタビューしたことがある。

 ボディーガードを兼ねた刑事らしき関係者ら4〜5人が黄氏の周りを囲んでいたが、質問用紙や名刺を求めるなど身辺警護とは関係のないことを要求していた。黄氏には東京から事前にファクスで質問状を提出していたので、彼らの要求を拒むと、そのうちの一人が、インタビューを秘かに録音していた。身辺警護員と言うよりは、黄氏の言動をチェックする「監視員」だった。従って、「韓国では本当のことが言えないのでは」と受け止めたのは当然かもしれない。

 家族会のメンバーよりも一足先に面会した中井拉致問題担当相は黄氏に「知っている限りのことを(拉致被害者家族らに)伝えてほしい」と依頼していたところをみると、中井大臣もそれなりの期待があったからこそ日本に呼んだのだろう。

 しかし、こと拉致問題に関する黄氏の発言は、昔も、今も、韓国でも、米国でも、また日本でも一貫していた。

 韓国でのインタビューで最後に拉致問題について聞くと、「そのことについては全く関心がない。何の意味もないことだ。私は拉致問題についてはあまり話したくはない」と語っていた。実は、インタビュー前の打ち合わせで「拉致問題については関心もないし、知らないので、質問しないように」と、本人から釘を刺されていた。「日本のテレビの取材なので、そこを何とか」と説得し、一番最後に質問したわけだ。

 黄元書記は、来日前の米国での講演で拉致問題について「ささいなこと」「相対的に取るに足らない問題」と語ったことで、拉致被害者家族会の心証を悪くしたようだが、この問題に関する彼の発言は4年経ってもブレていないことがわかる。

 米国で「ささいなこと」と発言したことについて面談した家族らに「人道問題を含め包括的に進めないと北朝鮮の様々な問題は解決しないとの意味だ」と釈明したそうだが、4年前のインタビューでも「拉致問題も大きな人権問題の一環として捉えて、解決にあたるべきだ」と答えていた。

 映像で4年ぶりに見た黄氏は随分と老け込んだ。今年88歳だから、当然だろう。これがおそらく最後の外国訪問となるだろう。