2010年3月13日(土)

千葉の特定失踪者、古川了子さんについて

 昨日は、千葉で千葉日報主催の講演があった。演題は「北朝鮮の現実とこれからの動き」。

 控え室には千葉の特定失踪者、古川了子さんのお姉さんとその夫がみえていたので、妹さんの失踪当時の状況を聞く。

 造船会社の社員だった古川了子さんは、1973年7月7日、「美容院に出かけてくる」と言って、そのまま失踪。貰ったばかりの夏のボーナスにも手をつぬまま、また預金通帳も家に置いたままこつ然と姿を消してしまった。美容院の後、母親と浴衣を買いに行く約束をしていたそうだ。

 了子さんについては「1991年に平壌の915病院で目撃した」との脱北者の証言があることや、現場の状況から判断して「拉致の可能性が高い」として家族は2004年5月に千葉県警に告発状を提出していた。

 お姉さんの話では、千葉では了子さん以外に拉致された疑惑のある失踪者が20人以上もいるとのことだ。しかし、了子さん含めて誰一人、政府によっていまだ拉致と認定されていないそうだ。

 千葉の特定失踪者の中には1962年の18歳の時に失踪した加瀬テル子さんがいた。

 確か、随分前にある脱北者から加瀬さんと思われる人物と、1976年に埼玉県川口市で失踪した藤田進(当時30歳)さんとおぼしき人物の写真が流出されたことがあった。ある専門家の鑑定の結果、「加瀬さんも、藤田さんも同一人物の可能性が極めて高い」ということになり、大騒ぎとなった。しかし、今もって、二人とも政府によって「拉致被害者」として認定されていない。不思議なことだ。写真だけでは、北朝鮮に拉致され、今も北朝鮮にいることの証明にはならないということなのか。

 まあ、慎重にことを進めていると言えばそれまでだが、特定失踪者の家族の間では、過去4年間1件も拉致認定されてないことから政府への不信が根強い。なかなか認定しないため古川さんのご家族は、拉致認定を求める行政訴訟まで起こしていた。

 日本政府によって当初、拉致と認定された被害者15人の内訳をみると、拉致された時期が全員1977年から1980年までと限定されている。横田めぐみさんが最も早く、1977年11月に拉致されている。

 その後、数十名から数百人以上されている特定失踪者の中から05年に田中実さんが、06年に松本京子さんが新たに認定されたが、田中さんの拉致は1978年6月、松本さんは1977年10月と、二人とも、77年ー78年の枠内だ

 仮に日本政府が北朝鮮による拉致が実行された期間を1977年〜1980年と限定しているとすれば、その期間以外の失踪者は対象外とみなされているのではと、特定失踪者の家族が不信を抱くのは当然かもしれない。

 古川了子さんは1973年7月に失踪している。了子さんの失踪が「拉致」と認定されれば、北朝鮮の拉致は1973年には行われていたということになるので73年以降に失踪した人を認定しなければならない。仮に加瀬さんが「拉致」と認定されれば、1962年にまで遡って、認定のための調査をしなければならない。

 拉致された場所も、欧州から拉致された3人を除く14人については日本海と九州に限定されている。しかし、太平洋に面した千葉で古川さんや加瀬さんら二十数名いる特定失踪者のうち一人でも認定すれば、それが、前例となり、全国に波及し、止めがなくなる、それで認定を渋っているのではとの不信を抱く特定失踪者の家族も一部にはいる。

 失踪者のご両親が高齢、病弱で、「もう時間がない」と誰もが切実だ。

 古川了子さんの母親もすでに90歳を超えた。娘の安否がわからないまま過ごしてきたこの37年間の精神的苦痛は想像を絶するものがある。