2011年9月29日(木)
拉致の主犯を国際指名手配へ
原敕晁(ただあき)さん拉致事件との関連で、事件当時北朝鮮対外情報調査部副部長だった姜海龍(カン・ヘリョン)が来月にも国外移送目的略取などの容疑で国際指名手配されることになった。
警察当局によると、姜元副部長は、日本人拉致の実行犯とされる北朝鮮工作員・辛光洙(シングァンス)容疑者(国外移送目的略取容疑などで2006年に国際手配)に大阪市内の中華料理店で働いていた原さんを1980年6月に宮崎市の海岸から工作船で北朝鮮に拉致するよう指示した疑いが持たれている。
姜元副部長は、当時金正日総書記の側近の一人で、1978年の香港からの申相玉(シン・サンオク)・崔銀姫(チェ・ウニ)韓国映画監督・女優夫妻拉致事件にも深く関与していたことが、北朝鮮からの脱出に成功した二人の証言によって明らかにされている。
申監督の著書によると、1978年1月22日に南浦港に連行された銀幕スター、崔銀姫の洗脳を担当したのが、崔副部長である。
姜海龍元副部長はさらに、1987年に起きた大韓航空機爆破事件にも深く関わっており、平壌外国語大学だった金賢姫(キム・ギョンヒ)に3度面談し、彼女を工作員に起用した当事者でもある。
また、大韓航空機爆破事件との関連でも登場し、工作員にスカウトされた金賢姫(キム・ヒョンヒ)が1978年3月29日、平壌市東北里(トンプクリ)の招待所で「キム・オッカ」という名で入居し、後に横田めぐみさんから日本語を教わるいことになった同僚の「キム・スッキ」との同居を始めた際、姜元副部長はここにも姿を現していることが金賢姫の証言で明らかになっている。金賢姫は姜海龍元副部長が1983年に失脚するまで2か月に一度接触していたと証言している。
日本人拉致事件との関連で金総書記は小泉総理との会談で「(拉致)事件に関係した責任ある人々は処罰された」と説明し、北朝鮮当局は、チャン・ボンリム元対外調査部副部長と対外連絡部のキム・ソンチョルの二人がその「責任者」であるとし、すでにそれぞれ処刑及び懲役15年を宣告されていると日本側に通告していた。
しかし、「責任者」とされたチャン・ボンリムが調査部副部長に起用されたのは1989年の時であり、日本人拉致が集中した1978年から1980年半ばまでは人民武力部偵察局翻訳室長の職責にあったので拉致事件の責任者でないことは明白。また、98年に処刑されたのは、拉致とは無関係の別の容疑であることも判明している。
今回、日本の警察当局が姜海龍元副部長を拉致事件の責任者の一人として国際手配したことで、北朝鮮が「責任者」として名前を出した二人が事件の幕引きを狙った単なる「身代わり」であることがはっきりした。
当時、対外情報調査部には姜海龍の他に申相玉・崔銀姫夫妻の拉致を指揮した任浩君(イム・ホグン)と金周永「キム・ジュヨン」の二人の副部長もいたこともはっきりしているが、1978年当時の対外情報調査部のトップは、李完基(リ・ワンギ)部長である。
姜海龍元副部長が手配されれば最高位の高官となるが、捜査の手が李完基部長にまで伸び、、さらには責任の追及が当時対南事業(工作)を総括していた金正日書記にまで及ぶかは不明。
また、姜海龍は28年前の1983年に対外情報調査部副部長を更迭されているが、更迭の理由も、その後の職責も不明。現在も生存しているとすれば、部下の辛光洙容疑者が82歳であることからそれよりも上か近い年齢に達しているものと思われる。ちなみにミャンマー訪問中の全斗煥(チョン・ドファン)韓国大統領一行の暗殺を狙った「ラングーン事件」が起きた年が1983年である。
警察当局では、今後、外交ルートを通じて北朝鮮側に身柄引き渡しを求める方針だが、北朝鮮とは国交がないうえ、身柄引き渡し条約がないため北朝鮮工作員の日本への引き渡しは事実上、困難とみられる。