2009年2月13日(金)

田口八重子さんの夫は韓国人拉致被害者

 田口八重子さんの夫が、日本人拉致被害者の原敕晃さんでなく、韓国人だったとの情報に接しての感想は「やっぱり、そうだったか」というものだった。というのも、北朝鮮が言うように1984年10月に田口さんが原さんと結婚したならば、田口さんは当時29歳で、原さんは48歳。田口さんが19歳も年上の、それも肝硬変を患っていて病弱の原さんと結婚するだろうかとの疑問が沸いていたからだ。現に原さんは北朝鮮の発表とおりならば、「結婚」して2年も経たない86年7月には病死している。

 それと、米国人と結婚した曽我ひとみさんは別にして、どうして横田めぐみさんだけが、「キム・チョルジュ」なる「朝鮮の夫」と結婚したのか、不思議に思っていたが、田口さんの夫も日本人でなかったことから、その謎も解けた。帰国した地村富貴恵さんの話では、田口さんとめぐみさんは84年秋から86年7月まで平壌市郊外の中和郡忠龍里にある招待所で同居しながら、金賢姫の同僚である「スッキ」という名の女工作員に日本語を教えていた。そして、金賢姫の証言によると、彼女と「スッキ」の二人は86年7月に招待所を離れ、中国語を学ぶため広州に語学留学に向かっている。ということは、田口さんもめぐみさんも86年7月でお役ごめんとなったはずだ。

 「スッキ」への日本語教育を終えためぐみさんは8月13日に韓国人拉致被害者のキム・ヨンナムさんと結婚していることから田口さんもほぼ同じ頃、韓国人拉致被害者の一人と結婚した可能性が十分に考えられる。田口さんの消息を地村富貴恵さんに伝えた田口さんの専属運転手によると、運転手が目撃したのは北朝鮮が「死亡した」と発表した86年7月30日から数週間後だったということから、時期的にもめぐみさんの結婚の時期とほぼ重なる。

 運転手の話では、田口さんは「義挙者」と結婚したとのことだが、本当に北朝鮮に亡命してきた「義挙者」ならば、当時北朝鮮は記者会見を開いて大々的に宣伝していたはずだ。そう多くないだけに当時の労働新聞を調べれば、直ぐに割り出すことができる。そうでないならば、485人いる韓国人拉致被害者の一人に違いない。拉致してきた韓国人も北朝鮮では「自らの意思でやってきた」と宣伝しているからだ。さらに絞れば、77−78年に海岸から拉致された5人の高校生の一人の可能性も考えられる。キム・ヨンナムさんもそのうちの一人だったからである。

 田口さんの夫が韓国人ならば、キム・ヨンナムさん同様にこの韓国人の夫も生存している可能性は高い。87年11月に大韓航空機爆破事件が発生し、実行犯の金賢姫の口から「李恩恵」の名前が飛び出したことで田口さんの安否が心配されている。運転手の証言以来、残念ながら23年間、目撃情報もない。それだけに田口さんの安否に関する鍵は、この夫が握っていると言っても過言ではない。一日も早く割り出すことが肝心だ。