2009年5月20日(水)

「家族会」の反発を招いた「田原発言」

 評論家の田原総一朗氏が4月24日に放送されたテレビ朝日の「朝まで生テレビ」で拉致問題に触れた際「北朝鮮が死亡したと主張している8人は、実は外務省側も死亡していることを知っている」と発言したことに中曽根弘文外相は昨日の記者会見で「田原氏の発言はまったくの誤りで残念に思う。一日も早い拉致被害者の帰国に努力している人たちに失礼な話だ」と怒っていた。

 田原氏の発言は「家族の気持ちを踏みにじるもの」として拉致被害者家族会や支援組織の「救う会」が反発し、テレ朝及び田原氏本人に抗議を申し入れていたことから「問題発言」として波紋が広がっていた。

 抗議に対して「朝まで」の番組責任者からは「番組として確認できていない内容が生放送されたことにより不快の念を抱かせてしまって申し訳ない」との「謝罪」と「テレビ局としては(死亡したとの)そのような事実を現時点では確認していない」との釈明があったそうだ。しかし、「死亡の根拠」を求められた田原氏本人は「情報源は言えない」と突っぱねているようだ。

 外務省が「8人が亡くなっている」という話をしているのを、公式にも非公式にも聞いたことはない。田原氏は北朝鮮担当者以外の、外務省関係者の「個人的な見方』を伝えているに過ぎない。中曽根外相自らが「外務省側も死亡していることを知っている」ことを公式に否定したわけだ。田原氏にとっては苦しいところだ。

 田原氏は2007年に訪朝した際に日朝交渉の責任者である宋日昊・日朝国交正常化担当大使ら北朝鮮の高官らと会談し、何らかの「感触」を得たのかもしれないが、宋日昊氏ら北朝鮮外務省当局者は所詮「表の人間」に過ぎず、拉致問題の全貌など奥深いところまでは把握していない。拉致にかかわったのは、工作機関などの「裏の人間」だから、彼らから話を聞かないと真相は誰にもわからない。

 しかし、中曽根外相の「生存の根拠」も何とも頼りない。「北朝鮮側から納得のできる説明がない以上、拉致被害者は生存しているという前提で交渉している」とのこれまでの外務省の立場を繰り返すだけだった。裏を返せば、「納得がいけば、死亡を受け入れる」という意味にも聞こえる。「全員生存している」との「家族会」にとっても心許無い発言だろう。

 拉致問題の担当大臣である河村建夫官房長官が昨年12月、外国特派員協会で会見を開いた際「8名が間違いなく生存しているとの確証を持っているのか。死亡した可能性は全くないと受け止めてもよいのか」との質問に「断固とした確証がある」との答えを期待していたのだが、官房長官の回答は「『死亡した』との確固たる証拠がない以上、我々(政府)としては、生存としているとみて、救出に全力を挙げる」と発言していたが、今回の中曽根外相の発言も残念ながらこの枠を出てなかった。

 正直、日本政府としても実際のところ「8人は絶対に生きている」と言い切れないようだ。中山恭子拉致担当首相補佐官が認めているように「物的証拠がない」からだ。一昨年9月、中山さんはある講演で「物的証拠はないが、いろいろな北朝鮮の発言や対応ぶりを見て、相当数の人が生存しているはずである」と、立場は異なるものの田原さんと同じように「心証」だけを「生存根拠」に挙げていた。

 結局「北朝鮮は『亡くなっていることを立証できない』一方、日本側は『生存していることを立証できない』というのが現状だ。

 だからこそ、日本政府は一昨年あたりから「拉致された人間がもし亡くなったというならば、それが事実であると認識するような責任説明を果たしてもらわないと納得できない」(07年10月9日、高村外相=当時)「生存者を見つけて、帰国させる。万が一、生存してない方があるならば、それがどういう状態なのかを調査する、これが再調査の目的である」(08年8月25日、町村官房長官=当時)と言い始めたのではないだろうか。

 中曽根外相は「北朝鮮から納得のできる説明がない以上」「死亡」を受け入れるわけにはいかないと強調していたが、これは至極当然のことだ。

 終戦後、日本政府は生死のわからない未帰還者について「戦時死亡宣言する」制度を導入し、安否や消息の再調査を要請した家族に対して厚生省は何の証拠も、確証もないのに「死亡したとみられる」と回答していた。死亡日も終戦日にあたる「昭和20年8月15日」と勝手に定め、家族の手元に送られてきた白木の箱の中には「名前を記した木札」だけが入っていたそうだ。何とも惨い話だ。

 引き揚げ援護庁の資料「引き揚げ援護の記録」によれば、終戦時の在外邦人生存者は660万人以上。「戦時中の生死不明者は相当数あった」と記されているが、正確な数は今もってわかっていない。

 ちなみに北朝鮮には軍人を除く民間人だけでも34万人暮らしていたが、1990年11月現在、北朝鮮からの海外引揚者は約29万。最低でも5万人が取り残された勘定となるが、国交がないこともあって一度も調査することなく、未帰還者は「死亡者」扱いとされてしまっている。

 北朝鮮の「死亡通告」から7年経っても、今もって生存に関する確証を掴めないのは問題である。「田原発言」が事実でないことを明らかにするうえでも「確証」を掴まなくてはならない