2008年4月29日(火)
平壌での五輪聖火リレーの日
北京五輪の聖火リレーが長野からソウル、平壌に移ったことで日本のメディアの関心が一時的に朝鮮半島に集まった。ソウルでも長野と同様にひと騒動あった。平壌から電送される聖火リレーの中継はスタート地点のチュチェ思想塔での式典が15分そこそこで終わり、第一走者が走ってからは画像が送られてこなかった。
チベット人もいなければ、北京五輪に反対する人が皆無の平壌ではトラブルやハプニングは全く考えられず、どのような歓迎振りをするのか、誰が聖火ランナーとして走るのかには関心はなかった。外国人(24人)を除く56人のランナーの中に在日が3人含まれていたので、もしかしたら、元世界スーパーフライ級チャンピンの徳山昌守(洪昌守)や、元Jリーガーの安英学(現在、韓国リーグで活躍中)らも走るのではと予想したが、選ばれたのは、名も知らない朝鮮総連の体育部門関係者だった。
第一走者が1966年のW杯ロンドン大会で優勝候補イタリアを破り、番狂わせを演じ、「東洋の奇跡」と称せられた北朝鮮チームのストライカーだったパク・トイクを起用していたことから、名前は忘れたが、最後の一発で米国の選手に逆転して北朝鮮五輪史上初の金メダルをもたらした射撃の選手から、アトランタ五輪で谷亮子選手を破ったケー・スンヒ選手や世界陸上選手権のマラソン競技で千葉真子選手とデッドヒートを演じ金メダルを獲得したチョン・ソンオク選手らも走るのではと注目していたが、確認されなかった。
ひょっとして、力道山の娘、キムヨンスクさんも、一昨年亡くなった夫が体育協会委員長であったことから選ばれているのではとか、金正日総書記の三男の正雲(ジョンウン)ももしかしたらとか、いろいろ憶測、詮索してみたりした。
ゴールを金日成競技場にしたのは、マスゲームとか人文字の用意しているのではと思ったりもしたが、競技場には数千人が集まっただけで、歌と踊りの行事だけで、お開きとなったそうだ。まあ、それでも憲法上の国家元首である金永南最高人民会議常任委員長が現れたことからもわかるように国賓並みの扱いであったことは確かだ。日韓は国賓並みの警備、北朝鮮は国賓並みの歓迎とは、実にコントラストだ。